次の行き先を決めずに辞めるのも潔い

ちょっとご無沙汰しました。

最近、私の中でのテーマは「公」です。仕事をする上で、「私心」を持たずに取り組みたいと考えながらやっています。つまり、私はこの仕事は嫌いだからやらないとか、気分が良いから仕事をがんばるとか、プライベートが忙しいから簡単な仕事しかやらないとか、そういう自分の都合を持ち込まずに取り組みたいと思うのです。まだうまく表現できませんが、司馬遼太郎著「世に棲む日日」に登場する吉田松陰の「公」に対する姿勢を見習いたいという気持ちです。「企業は社会の公器」であるならば、企業に属する人間も企業活動の際には公の発想を持つべき、ということとも近いでしょうか。


わたしはブログを書くとき少なくとも30分くらいは誰からも話しかけられず集中する時間が必要なのですが、会社にいるとそれを確保するのは相当困難です。会社を運営する立場である以上、少なくとも業務時間内は自分の時間を他の人のために費やす必要があり、他人の干渉を受けたくない作業であるブログ書きとはなかなか両立しませんね。


知り合いの社長は会社の近くに住み、朝4時に起床し、自転車で朝5時に出勤して自分の時間を確保するとのこと。私たちの仕事の場合、夜、人に会うことが多く、朝4時に起きるのは現実的ではないので他の方法を考えなければなりませんが、自分の仕事・生活のスタイルを見極めて、自分のための時間を捻出するのは重要なことと痛感しています。


転職活動でも似た悩みが発生します。転職活動はいわば私的な活動です。現職の仕事を全うしながら、満足な私的活動を行うのは相当困難と思います。しかも、採用面接はたいてい平日に行われるわけですから、なおのこと困難です。


某著名コンサルティングファームではプロジェクトに入ると忙しい日々が強要され、とても私的な活動をする余裕はないようですが、それでも日々の仕事に安心まい進できるのは、忙しいプロジェクトが終わると休むことが可能だからだと、友人が教えてくれました。つまり、キャリアを見つめなおしたい場合、会社公認のもと、余裕のある時間が与えらるという安心感です。


そのような風土がない会社に勤めている人が転職活動をする場合、何とかやりくりしなければなりません。どちらも中途半端になることは自分の美学に合わないと思った人の中には、辞めることを先に会社に伝えて転職活動をしたり、辞めてから活動を開始する人もいます。


転職する側は生活がありますから、現実的には次の行き先を決めずに辞めるのは難しいかもしれません。また、採用する側の価値観としても、転職先が決まる前に退職した人を「理解できない」とする向きもあります。しかし、「前職が忙しく転職活動をすると中途半端になるので先に辞めた」という人にたいして、「潔くてかっこいい」とする考え方もあるのでは。少なくとも採用側の方にはそういう価値観も理解してもらいたいと思うこのごろです。